人生ゲーム 社会人アスリートの日記

仕事もプライベートも頑張りたい社会人アスリートです!

【仕事】学びある日々

 

おはようございます!

 

今日は”学び”について書きます。

新社会人として日々仕事をしていると何事も初めてで

学びだらけの日々なのですがところで学びってなんでしょうか。

考えたことありますか?

 

気になったことはすぐ調べる!ということで調べてみます。

 

 1.”学ぶ”の意味

まず、”学ぶ”とはどのような意味なのでしょうか。

デジタル大辞泉を参照してみました。

 

まな・ぶ【学ぶ】

 
《「まねぶ」と同語源》
[動バ五(四)]
 勉強する。学問をする。「大学で心理学を―・ぶ」「同じ学校で―・んだ仲間」
 教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。習得する。「よく―・びよく遊べ」
 経験することによって知る。「苦労して人間のすばらしさを―・んだ」
 まねをする。
「五月に雨の声を―・ぶらむもあはれなり」〈・四〇〉
ここで注目したいのは”「まねぶ」と動語源”
という部分です。
”学ぶ(まなぶ)”=”まねぶ”なんですね。
同じページに載っている”まねぶ”の意味を見てみましょう。

まね・ぶ【学ぶ】

[動バ四]《「まなぶ」と同語源》
 まねをする。まねをしていう。
「鸚鵡、かねて聞きしことある大隊長のこと葉を―・びしなりけり」〈鴎外文づかひ
みどりごの絶えず―・ぶも」〈かげろふ・上〉
 見たこと聞いたことをそのまま人に語る。
「この夢合ふまで、また人に―・ぶな」〈・若紫〉
 教えを受けて身につける。習得する。
「琴、はたまして、さらに―・ぶ人なくなりにたりとか」〈・若菜下
1と2の意味にあるように、見たこと聞いたことをそのまま
まねをして語ることが”まねぶ”なんですね。
”まなぶ”とは見たこと、聞いたことをマネをすることと結びついていると考えられます。
”学ぶ”の3の意味にある、「経験によって知る」
からわかるように、学びの本質は経験にあると僕は考えています。

2.”学ぶ”と”習う”

ところで”学ぶ”と似た意味の言葉に”習う”というのがあります。

両者はどのような意味の違いがあるのでしょうか。

 

習うの意味を同じくデジタル大辞泉より引用します。

動ワ五(ハ四)]

  1.  教わったことを繰り返し練習して身につける。けいこする。「夜ふけに一人でダンスのステップを―・う」

  1.  知識や技術などの教えを受ける。教わる。学ぶ。「父から将棋を―・う」「中学で―・った先生」

  1.  経験を積んで、なれる。習慣となる。

    1. 「心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざも―・はざりければ」〈伊勢・四一〉

  1.  慣れ親しむ。

    1. 「かく久しく遊び聞こえて―・ひ奉れり」〈竹取

 

”学ぶ”との大きな違いは

「教えを受ける」という意味、そして「慣れる、習慣となる」という意味です。

”学ぶ”に比べて、人から教わること、繰り返し行うことの意味が強く、

学問よりも芸術に向いた言葉のように思います。

 

論語のかの有名な一説に、”学ぶ”と”習う”の本質が読み取れます。

【原文】

子曰く、学びて時に之を習う、亦た説(よろこ)ばしからずや。

朋あり遠方より来る、亦た楽しからずや。

人知らずしていきどおらず、亦た君子ならずや。

【通釈】

孔子は言った。

学問をして、その学んだところを復習できる機会を逃がさずに、何回も何回も繰り返して復習すると、学んだところのものは自分の真の知識として完全に消化され、体得される。

このようにして、知識が豊かになれば、道を同じくする友達が、遠いところからまでもやってきて、学問について話し合うようになる。

これはまた、なんとたのしいことではないか。

しかし、いくら勉強しても、この自分を認めてくれない人が世間にはいるもの。

そうした人がいたとしても、うらまない。

それでこそ、学徳ともに優れた君子ではないか。

 

学んだことを復習して身につけることは喜ばしいことであり、

それでいて自分を認めてくれない人がいてもうらまない、

そのような人を徳の高い人、だと説いています。

 

この一節から、”学ぶ”と”習う”は孔子儒家)の時代から

それぞれ区別され、それでも両者がセットになることで

徳の高い人間になれるという言説があったことがわかります。

 

3.学び、習い続けよう!

”学ぶ”と”習う”はそれぞれ違うものだということが

わかったところで、我々はこの違いをどうとらえ、日々の生活で

意識すればいいのでしょうか。僕の考えを述べます。

 

まず、”学ぶ”と”習う”はどちらが欠けてもいけないと思います。

そして社会に出ると、学びは経験によって得ることが大切で、

”習う”が”学ぶ”よりも重要になると感じています。

なぜなら、社会で大切なのは自己表現だからです。

学びを繰り返し実践して”慣れて”自分のものにしないといけません。知識があるだけでは生きていけないということです。

 

どれだけいいサービス、商品およびその知識を持っていても、それを伝える

力がなければ売れません。

同じ商品でも店員さんのしゃべり方によって購買意欲が全然違うことって

ありませんか?

 

新社会人になって、学生時代と比べて学ぶことも習うことも増えました。

営業としてサービスの魅力を伝えることが仕事になりましたが

正直頭がパンクしそうです。

学んで、習ってをどれだけ繰り返しても未知との遭遇の連続です。

それだけ、ものの伝え方は無限大、正解がないもの

なのでしょう。

 

だからこそ現状に満足することもなく、上司先輩に対して卑屈になること

もなく、自己表現と素直に向き合い成長し続けることが大切なんだと考えています。

 

今はまだ大変だと感じることのほうが多いですが、それでも

学び、習い続けます。そうして成長できたと感じた瞬間は

楽しいです。それはなんと喜ばしいことじゃないですか。

 

最新記事

 

自己紹介

 

Twitterフォローお願いします!

 

 

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ
にほんブログ村 ポチッとしていただけると励みになります!

にほんブログ村 サラリーマン日記ブログへ
にほんブログ村 ポチッとしていただけると励みになります!