嘘つかなければ社会では生きていけない?
おはようございます。
今朝ふと思ったことがあります。
昨日の商談後に先輩から言われたひとことについてです。
それは
商談をするなら”見せ方”を意識したほうがいい
というものです。
自分は嘘をつくのが一番苦手です。
言葉の裏にあるニーズというか、表出した言葉はすべて本音なのだ
という気持ちで生きています。
そのせいもあって、商談中や雑談の間で
思ってもないお世辞や冗談で場を盛り上げることができません。
これだけならまだいいですが、値段などの交渉を
するとき、なんでもかんでも正直に受け止めていては
相手の要求にのまれるかこっちの要求を押し通すかの2択しかないことに
なってしまいます。
お互いの合意形成がうまくとれないわけです。
これは困った。
社会は嘘をつかないと生きていけないのか。
嘘も方便ということばがある。
どうやら仏教用語、サンスクリット語のupaya(ウパーヤ)という言葉が語源になっているみたいだが、「目的に近づく」という意味のようである。
英語のことわざにある
The end justifies the means.
(結果は手段を正当化する)
のように、嘘も方便とは、「結果や目標のためなら嘘も許されることがある」
という意味である。
それが自分は苦手だ。
苦手で、社会に合わせて生きる自分が嫌いになりそうになる。
嘘をつかないと社会では生きていけないのだろうか。
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— とぅーご (@togojumpblog) 2019年7月4日
最近よく考えている話題なのですごく長くなってしまいました。
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